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総理大臣が委員を任命する食品安全委員会の答申。輸入再開しても「危ない牛肉」は食べないことで意思表示。

やっぱりと言おうか、予想通りと言おうか、BSE(牛海綿状脳症)の対策見直しを審議してきた内閣府食品安全委員会プリオン専門調査会は、全頭検査の対象から20カ月齢以下の牛を外すことを容認する答申案をまとめました。この答申案には全頭検査の緩和に批判的な意見も盛り込まれましたが、大方の予想通りでした。

ま、安全食品委員会の委員は、衆参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命するわけですから、政権政党及び総理大臣(政府)の意にそわない人が選ばれることはありませんね。ま、ポーズとして批判的な人を選んでも、そういう人が主流になることはないでしょう。したがって、政権政党・政府の意向にそう答申案ということです。

アメリカ産牛については、アメリカ国内でも問題になっており、アメリカの有力新聞ニューヨーク・タイムズは、「アメリカ政府が科学的根拠があるとしている牛肉の安全性については、その科学的根拠は仮定にすぎず、牛肉の貿易再開について唯一責任ある方法は牛の検査であり、必要なら全頭検査を行うべき」という旨を紙上で主張しています。アメリカ人にも、「ヤバイよ、それは!」と思う人がいっぱいいるんですね。

今回の答申案をもとに、消費者との意見交換(パブリックコメント=意見募集)が行われます。多くの消費者団体や畜産農家などはアメリカ産牛の全頭検査を要求し、反対の声を上げるでしょうが、一方で国内にはアメリカ産牛の早期輸入解禁を求める声もあります。

共同通信が配信した記事では、全国の牛丼ファンや外食業界の関係者で構成されているという「米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会」(代表世話人は、アメリカ産牛肉の安全性を訴えて集会を開き、早期の輸入再開を要請する約119万人の署名を農水省に運び込み、その一部を島村農相に手渡したそうです。要請書と署名を手渡された島村農相は、早期輸入再開の実現に意欲を示したとあります。(ひゃあー、農水省って、アメリカの畜産農家の味方だったんだあ)

また、北海道産の米(きらら397)を大量に使用している牛丼チェーンの吉野家ディー・アンド・ジーは、北海道内の8つの農協にアメリカ産牛肉輸入再開を要請する署名に協力を求めたところ、署名に協力を決めたところもあったそうです。(農家の中に畜産農家もあり、反対の声もあることから農家の自主性に任されたようですが‥‥)
米生産農家はアメリカ産牛肉の輸入が再開され、吉野家の牛丼が復活すれば米の売上が伸び、経営も安定します。一方、畜産農家は輸入再開となると牛肉や豚肉価格が下がることになります。いやはや、農家も農協も商売がからむと一枚岩にはならんのですね。

消費者や農協、農家のなかにも、アメリカ産牛肉の輸入再開を望む人が大勢いるということで、消費者との意見交換は形だけで終わり、5月には食品安全委員会が農水省、厚労省に答申し、農水省、厚労省が輸入解禁を条件に全国7〜8か所で意見交換会を行って、夏には20カ月齢以下のアメリカ産牛、カナダ産牛の輸入が解禁されるでしょう。

そして、まだまだ安全性が確認されていない「危ない肉」が日本に入ってきます。(日本でも16頭目のBSE感染牛が発見されました。国産牛だって100%安全とはとてもいいきれませんが‥‥)私たちはどうしたらよいのでしょうか。
それは単純なことですが、買わなければいい、食べなければいいのです。アメリカがどんなに日本政府に圧力をかけて、アメリカ産牛肉の輸入を解禁しても、日本の消費者がアメリカ産牛肉を食べなければ、アメリカの畜産業者は輸出する意味がありませんし、日本の輸入業者、外食産業も儲かりません。そこではじめて、消費者の信頼を得るために何をしたらよいのか、真剣に対応策を考えるのです。
食の安全を願うみなさん、危ないものは「買わない」「食べない」ことで意思表示を!

ただただ「牛丼が食べたい!」と、単純な欲望のままにアメリカ産牛肉の輸入再開を求める牛丼ファンのみなさん、本当に安心しておいしい牛丼を食べるために、牛丼を食べたい気持ちをグッとこらえて、「危ない牛肉はいらない。安全な牛丼を食べたいんだ! 何とかしてくれ」と声をあげ、アメリカの畜産業者や日本の輸入業者、外食産業が真剣に安全のための対応策を考え、実践するように促してみてはいかがでしょうか。そうしないと、いつまでも危ない肉を食べさせられることになりますよ。
# by yazakiej | 2005-03-30 10:12

「やっぱりでてきたソン」&「あきれた与謝野放言」

ああ、やっぱりと言うべきか、弱冠32歳のドンキホーテ・ホリエモンに攻め込まれ、たじたじとなったフジテレビが、ついにソフトバンクに泣きつきましたね。このバトルの落としどころは、プロ野球参入と同じようにミキタニかソンの再登場とみていましたが、ホリエモンより年齢が上で外見がソフトに見えるだけに、安心感を与えた(言い換えれば「ジジイ殺し」で、たらし込むのが上手かった)というわけでしょうか。
昔でいえば、旧体質のぬるま湯の中でヌクヌクとしてきた落ち目の将軍や公家が、体制破壊者の手から逃れるためにできるだけ自分を優しく扱ってくれそうな大名のところに身を寄せるといったところのように思えます。(ま、最後は打ち捨てられたけれども)

ここでホリエモンがどうでるか? もう少しバトルを見たい気もしますが、フジテレビがソフトバンクになろうが、ライブドアになろうが、番組の質の向上につながるかは、はなはだ疑問です。ただ、政治との癒着、広告主に対するおもねり、下請け企業との待遇格差など、民主主義や人権を無視した経営が多少なりとも改められたらいいなあと思います。

ところで政治家ですが、自民党政調会長の与謝野馨氏が、ワイセツ行為で現行犯逮捕され議員辞職した中西一善自民党前衆議院議員を擁護して、逮捕当日に「タクシーでそのまま逃げてしまわないと‥‥」と言い放ったそうです。
もう絶句、開いた口がふさがりません。この人、昔、文部大臣だったはずですよね。これ、仮にも教育者のトップだった人のいうことでしょうか。斬り!

子どもたちはバカじゃあないから、ホンマ、あきれてまっせ。こんな人やヤマタクセンセイのような輩が「不純異性交遊はイカン!」などと言ったら、もうブラックユーモアでっせ。この人、自分の家族がワイセツ行為の被害者になっても、やった相手を擁護してそういうのでしょうかね? 世も末です‥‥。
こういうことを隠したいから、自民党や公明党はメディア規制を強める法律を作ろうとするんですね、きっと。
以前にも申しましたが、放送事業を政権政党や政府の圧力を受けざるを得ない免許制にすること自体が問題です。
# by yazakiej | 2005-03-24 20:37

「竹島の日」問題にみる政府対応‥‥大人の韓国、幼稚なニッポン

日韓の間で領有権争いをしている竹島(韓国名・独島 ドクト)をめぐって、島根県議会が2月26日を「竹島の日」とする条例を制定したことに対し、韓国では南部、慶尚南道の馬山市議会が対抗措置として、「対馬の日」を条例で制定しました。
島根県議会の「竹島の日」条例制定に寝耳に水だった韓国世論は怒り心頭で、各地で行われるはずだった日韓の交流事業も次々と取りやめになっています。
ヨン様目当てのニッポンのおばさん旅行が取りやめになることには、どうという思いはありませんが(そろそろテレビ局もおばさんたちもバカ騒ぎから熱が冷めてきていると思いますが)、せっかくの親善試合を楽しみにしてきたサッカー少年たちや文化交流に参加しようとしてきた人たちにとっては残念なことでしょう。

この「竹島の日」、「対馬の日」条例制定に対する日韓両政府の対応には、かなりの差があります。
日本の外務省は島根県議会に対して、韓国内での反論を示す新聞記事等のコピーをFAXで送ったとされていますが(エ、それだけ?)、日本政府は「自治体の動きに関与できない」と、ふだんは補助金をエサにさまざまな規制をし、県政をコントロールしているくせに、あたかも自治体の独立性を尊重しているかのように装い、頬被りを決め込んでいます。

一方の韓国政府外交通商省は、「対馬の日」制定について「心情は十分理解するが、不必要な混乱を誘発する可能性がある」「国土を守ることに関しては日本の良識ある市民だけでなく、国際社会の広範囲な支持を受ける努力が必要」とし、「対馬の日」条例は適切でなく、条例撤回を要請するとの立場を表明したそうです。(共同通信記事より)

竹島(独島)の領有権問題に関しては、双方が歴史的記述を持ち出して争っていますが、その周辺の資源や経済的な利益、国民感情が大きな要素を占めるだけに、一朝一夕には解決が難しい面があります。いたずらに感情を煽るだけではかえって問題をこじらせ、優先して行うべき問題の解決を遅らせます。

頬被りを決め込み国際社会の理解にまで配慮できない日本政府と、国際社会や日本の良識派市民への理解をアピールした韓国政府の対応には、政治的成熟度という点から雲泥の差がありました。政治的年齢でいえば、大人の韓国、幼稚で無知な日本というところでしょう。ああ、やっぱり日本(の政治)は、まだまだ「TWELVE・Y・O」(Twelve Years Old)なのでしょうか?
# by yazakiej | 2005-03-19 21:23

日本人は「TWELVE・Y・O」を超えられないのか?

引き続き「Bio Fach」での話から入ります。私たちが宿泊したホテルから会場まではタクシーで約20分ほどかかります。2日目に会場からホテルまで乗せてくれたタクシー(7人乗りのワゴン)のドライバー(男性)がとても気さくな人で、気配りもなかなかでした。ただおしゃべり好きで、運転中ものべつ助手席に座っている案内役の森恵さん(ドイツ在住のジャーナリスト)に話しかけながら車線変更を行うため、ときどきヒヤリとさせられることもありましたが、まあ、腕のよい好感の持てる人でした。

そこで、翌日も頼もうとしましたら、「規則で明日は休まなくてはいけない。でも、替わりに女性ドライバー(私たちが勝手に彼の奥さんと解釈)が来るから大丈夫」とのことでした。
翌朝、どんなドライバーが来るかと待っていましたら、妙齢の女性ドライバーが昨日と同じ車で来たではないですか。一同、「彼には似合わぬ(失礼)美人の奥さんだ」「本当にこの女性がやつの奥さんなのかな」と、社内で話していましたら、やはり、この女性は奥さんではなく、タクシー会社に所属するドライバーの一人でした。

ホテルからニュルンベルグの旧市街と新市街を隔てる中世の城壁沿いの道を、会場のある郊外に向かって走っていると、助手席の森さんと話しながら運転していた女性ドライバーがしばらく話すのをやめました。そしての心なしか目が潤んでいるように見えました。私たちがいぶかっていると、森さんがその理由を説明してくれました。
その女性ドライバーは、ボスニアから戦火を逃れてドイツに移り住んだ人で、戦争のために家族を失い、家や財産もすべて失って、天涯孤独になってしまったとのことです。そして女性独り、さまざまな仕事をしながら異国の地で生きているのです。彼女は辛いことはさまざまあるが、ドイツ人は自分たちのような異国人に本当に冷たいとしみじみ言いました。
で、女手一つで子どもを育てながら同じように厳しい異国の地で生きている森さんと話し、緊張が緩んで思わず涙がこぼれてしまったのだそうです。

私たち日本人、特に環境問題や有機農業、市民活動に関心のある者にとっては、ドイツはEUの中でもリーダー的存在であり、人権意識も一番進んでいるとされてきたので意外でした。

第二次世界大戦の反省からドイツはさまざまな反ファシズム的な政策を打ち出してきましたが、それでもネオナチをはじめとする極右翼的なグループがあり、頑迷な宗教的指導者も多くいて、外国人労働者を排斥する勢力のパワーもかなり強いようです。一般にも、小国の人々に対する差別感があるのではないでしょうか。
森さんも、確かにそういう面もあると言っていましたが、異国の地に住んだことがない者にとっては、その厳しさは理解できないものだと実感しました。特に、観光ルートに乗って表面だけ見て回る旅行者には分からないでしょうし、経済大国という楯に守られ、商売と自己の利益しか目が行かない日本企業のビジネスマンや外交官は、初めからそういう状況を見る気もないでしょう。

ひるがえって日本を考えてみると、さらに厳しい差別的な状況があるようです。ジャーナリストでバングラディシュの男性と結婚した関口千恵さんは、『在留特別許可』入官など日本の行政の尊大で差別的な態度、行為を書いています。

今から20年ほど前、家族(当時2歳と4歳だった幼い2人の子どもと妻)と妻の友だちといっしょにシンガポールに旅行したことがあります。当時、シンガポールは経済成長が始まったころで、古い町並みが壊され、高層ビルが建ち始めていました。国民はマレー人、中国人、インド人をはじめさまざまな民族が入り混じり、宗教もキリスト教、ヒンズー教、仏教、道教とあり、言語も英吾が公用語のようでしたが中国語、ヒンズー御、マレー語が飛び交っていました。まさに人種と宗教のるつぼでした。

そのシンガポールからの帰路、フィリピンのマニラ空港に乗り継ぎのために寄りました。空港内を子どもたちの手を引いてジュースを買いに行く途中、免税店の前を通ると日本人旅行者の一団の酒に酔った大きな声が聞こえてきました。ふとそちらを見ると、当時流行った農協組合員の団体旅行とおぼしき一団が免税店の中で土産物を物色しているところでした。そして、めいめい目当ての商品をつかんでレジカウンターの前に移動しました。

で、その中の50代初めとおぼしい一人の男性が、「これでいくらだ」と、横柄な第度でレジ係の女性に言いました。その女性は一つ一つ商品をチェックし、レジに金額を打ち込み、合計金額を男性に伝えながら、レジの表示金額を指しました。男性はシャツの下の腹巻きからサイフを取りだし、100ドル紙幣をカウンターの上に放るように置きました。レジ係の女性はそれを受け取り、つり銭のコインとドル紙幣をワン、ツウ、スリー、フォー‥‥と、ていねいに数えながら男性の手の平に置いていきました。すると、その男性は、突然、「こいつら、いちいち一枚一枚数えないと計算できないのか。フィリピン人はろくに算数もできないからだめなんだ」と怒鳴るように言いました。その男性の仲間たちはうんうんとうなずき合っていました。ああ、大いなる無知と勘違い!
そして、男性はそのレジ係の女性の手を握るようにしてつり銭を受け取りました。その一団には女性も含まれていましたが、なにやら男性に冷やかしの言葉をかけながらいっしょに移動してしまいました。私はもう唖然です。一団が去ったあと、店内にいる人々の顔には明らかに軽蔑の表情が浮かんでいました。

ジュースを買って待合所に戻り、ソファに腰掛けて子どもたちと紙コップの中のジュースを飲み、氷の入ったコップをソファの脇のサイドテーブルに置きました。しばらくして、子どもたちが居眠りを始めたところで、ふと紙コップを見ると、溶けきらない氷の上に乱暴にタバコの吸い殻がねじ込まれているではないですか。

振り向いて見ると、スーツにネクタイをした明らかに日本人ビジネスマンと見える数人が後の席でタバコを吸い、灰を床にこぼし、吸い殻をコップに入れようとしているではありませんか。私は思わず、「何だ、これは」と叫びました。するとそのビジネスマンたちは、「何だ、日本人か」といって、謝りもせずに、そそくさとそこを立ち去りました。私はまたまた唖然。
幼い子どもたちさえいなければ、追いかけていって「きさまら、いい加減にしろ」怒鳴りたいところでした。それをできなかった自分が、20年を経た今でも悔やまれます。

そのときの私の服装は、野球帽にTシャツ、洗い晒しのよれよれのジーパンにスニーカーで、もちろん陽に焼けていましたから、黙っていれば日本人には見えなかったかもしれません。もちろん白人にはとうてい見えるわけもありません。でも、日本人でなかったら、彼らはどうしたでしょうか。あの尊大で傲慢な態度から、経済大国という威光を背負って、たかがアジア人労働者をねめつけたことでしょう。軽蔑すべきは我が同胞というわけです。

先日、友人2人と話す機会がありました。年齢こそ違えども、ともに社会意識が高く、非常に良識的な人です。さまざま話すうちに、国債問題に話題が移りました。アメリカのイラク戦争に対する批判、EUの統合、中国の経済成長や政治問題、北朝鮮と韓国、日本の対応についてなどなどです。その話の延長線上で、一方の友人(団塊世代)から、「アメリカや、EUとして統合してまとまったヨーロッパ諸国に比べてアジアはバラバラである。アメリカ、EUの侵略に対して、アジアのために日本が中心になり、アジアをまとめてアメリカ、EUの侵略に対抗していかなくていけない。中国や韓国や国として信頼性に乏しく、彼らにはアジアをまとめることはできない。中国は国として信用できないし、韓国は文句ばかり言っている‥‥」という言葉が飛び出しました。

私も、もう一人の友人(30代半ば)も、我が耳を疑い、思わず目が点になりました。
そこで、若い友人が「それでは、戦前の軍国主義時代の大東亜共栄圏の発想と全くいっしょです。中国や韓国はもちろん、他のアジアの国だって、日本にアジアの中心になってほしいとは思っていないと思います。それをいちばん警戒しているから、あれだけ靖国問題に敏感になるのだと思います」と反論しました。

平和憲法で育ち、学生運動も体験し、広島、長崎の原爆記念日には涙を流して平和を願い、市民派を応援し、ふだんは決して争いを好まない良識的な人がこういう発想をしていたとは‥‥。でも、これが多くの良識的な日本人の基本的な発想かもしれません。大いなる勘違いと言わざるをえません。
ああ、日本人はいまだに「TWELVE・Y・O」(Twelve Years Old)から成長していないのでしょうか?
# by yazakiej | 2005-03-18 05:01

有機食品フェア「Bio Fach」と市民の新聞「TAZ」

ドイツのニュルンベルグで開催された有機(オーガニック)食品の世界的トレードフェア「Bio Fach」(2月24日〜27日 日本では「自然の恵み展」)を訪れました。ある日本の無添加食品メーカーとそこに出展しているスペインのメーカーとの商談に同行したのです。他のメンバーが打ち合わせの最中、私はもっぱら各ブースでの試食に時間を費やしたのですが、出展数が多くてとてもまわり切れませんでした。残念!

今から5年前、2000年に訪れたときよりも規模が大きくなっており、出展も1000社を超えているそうです。(3月8日〜11日に幕張メッセで開催されたFOODEX JAPANよりもずっと大きな規模です)
当時に比べ北米、中南米、特にブラジルの出展規模が大きくなってなっていました。そしてひときわ目を引いたのが中国の緑色食品のブースです。会場内の見学者も、中国人とおぼしき人が目についていました。それにひきかえ日本の出展はOCIA JAPANのブースにお酒の菊水など3社のみ。寂しかったです。残念!

ドイツの市民新聞「TAZ」(タッツ Tageszeitung 日刊紙の意味)のブースを見つけました。1982年にベルリンで創刊され、オルタナティブな社会をめざす進歩派の人々には欠かせない情報源でした。1980年代後半に、出版社ほんの木発行のエコロジーと国際化の情報誌『アップデイト』が「TAZ」を紹介し、日本でも市民の手によるメディア(新聞)ができないものかと模索しました。(ほんの木の創設者で『アップデイト』創刊編集長の柴田敬三さんは、今でも市民の新聞「ACT」を引き受け、市民の手によるメディアを育てようと奮闘しています。http://www.jca.apc.org/act/ http://actshinbun.exblog.jp )

当時、すでに発行部数8万部に達していた「TAZ」ですが、私たちを案内してくれたドイツ在住のジャーナリスト森恵さんの話では、なかなか10万部の壁を突破できないとのことです。残念! 
しかし、日本の市民メディアの実情と比較してみると、それはなかなかすごい数字だと思います。10万部近い発行部数があれば、社会に対して相当大きな影響力を持つことができるのではないでしょうか。市民メディアがなかなか育たない日本の社会状況は、もっと残念!
ぜひ、市民の新聞「ACT」にアクセスしていただき、日本でも市民の手によるメディアを、みなさんの手で育ててみようではありませんか。

ところで、有機(オーガニック)は市民意識の高まりによって広がりました。有機(オーガニック)の意味はただ単に安全、おいしいものを食べるというこだけではないということも知ってほしいと思います。
# by yazakiej | 2005-03-16 14:31